鹿肉が別名「もみじ」と言われているのはご存知でしょうか。その他にも馬肉は「さくら」、鶏肉は「かしわ」など動物のお肉には花や植物の名前を使用した別名が存在します。
今回は、なぜこのように別名が存在するのか、なぜ鹿肉が紅葉(もみじ)と言われるようになったのか、時期との関係はあるのかについてご紹介したいと思います。
鹿肉が別名で言われるようになった理由
鹿肉はなぜ植物の名前【もみじ】になったのでしょうか。それは「戦国時代」から「江戸時代」にかけての獣肉食に関係しています。
獣肉を提供する店は植物や花の名前を使用した「隠語」を用いて客を呼び寄せていました。
獣肉食の実態
戦国時代
戦国時代の獣肉食について豊臣秀吉がひどく非難した記録が残されています。
豊臣秀吉は獣肉を食すポルトガルの宣教師たちに対して「獣肉食は曲事(不正な行為)」であると言い放ちました。それがあったためにその頃の日本では「獣肉を食すことは禁忌」とされていました。
江戸時代
江戸時代になっても戦国時代からある獣肉食をタブーとする風潮は存在し、主に上流階級を中心に守られていました。
もちろん、一般庶民の間でも獣肉食、いわゆるイノシシや馬などを含め、鹿肉も抑制されていました。しかし、その全ては建前上の話です。「獣肉を食べたい!」と思う方はいるわけで、隠れて獣肉を提供する店が存在しました。
獣肉をどのように提供していたの?
当然、獣肉は禁忌とされているわけですから堂々と鹿肉やイノシシの肉、馬肉などを提供していることを表には出せません。そこで「隠語」を使用した呼びかけで客を呼び寄せていました。
これが鹿肉やイノシシ肉、馬肉の別名が誕生した理由です。
鹿肉はなぜもみじ?時期との関係は?
「鹿」と「紅葉」と言えば花札の絵柄です。
なぜ、鹿肉がもみじと言われるようになったのでしょうか。それは花札説が有力と言われています。
花札は1月から12月の12ヶ月が四枚ずつ季節に沿った花が描かれています。
鹿が描かれている時期は秋の10月です。秋といえば紅葉(もみじ)ですがその秋の時期と一緒に描かれているのが鹿でした。
また、鹿は他にも秋の季語にもなっており、古今和歌集では秋を連想させる鹿の詩が詠まれています。
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
歌の意味は「人里離れた奥山で紅葉を踏み分けながら鳴いている鹿の鳴き声を聞く時が秋を悲しく感じる時だ」という意味です。
百人一首では、この「鹿」と「紅葉(もみじ)」が使用された歌は猿丸太夫(さるまるだゆう)の歌とされています。
鹿肉はもみじ、その他には何がある?
鹿肉はもみじと言われていましたが、他にもジビエと言われる野生の獣肉は食べられていました。
ジビエとは、狩猟で捕獲した野生の獣肉やその料理のことです。
ここでは「鹿肉=紅葉」の他に何があるのかご紹介したいと思います。
「馬肉=さくら」
馬肉は別名「さくら」と呼ばれております。馬肉を薄くスライスしたときの断面の色が桜の花びらのようなきれいなピンク色であることから「さくら」と呼ばれています。馬肉は鮮度が重要で、鮮度が落ちるとすぐに黒ずんでしまいまうそうです。
また、他にも、桜の咲く時期の馬肉は冬にたくさん食べて脂がのっており美味しいと言うことから「桜の咲く時期が食べ頃」と言うことで「さくら」と言われるようになったと言う説もあります。
「鶏肉=かしわ」
鶏肉は別名「かしわ」と呼ばれておりますが、それは植物の柏が由来です。食用の鶏肉の色合いが柏の葉の色に似ていたことからこのような名が付けられました。
鶏肉は江戸時代では普通に食べられていたそうです。卵を使用した料理やお菓子もありました。
「猪肉=ぼたん」
猪肉をスライスしてお皿に盛る際に牡丹(ぼたん)のように盛り付けをすることからこのような別名が付けられました。
鹿肉は紅葉まとめ
今回は鹿肉が別名もみじと呼ばれる由来についてご紹介しました。鹿肉だけでなく他の獣肉にも隠語が使用されていたのはびっくりでした。
- 鹿肉は別名「もみじ」と言われる
- 鹿の時期は10月の秋
- 花札や古今和歌集、百人一首では「鹿」と「もみじ」が使用されている
- 獣肉は密かに食べられており、食事処は隠語を使用して客寄せをしていた
鹿肉は他の獣肉と違い花札説が有効で、秋といえば紅葉と同じくらい秋といえば鹿と思われていたようです。
他の獣肉も植物や花の名前で表現されているのはとても面白いですね。